臨床家 諸君!!
セラピスト達のための教化書
定価 3,960円(税込) (本体3,600円+税)
- A5判 280ページ 2色,イラスト220点
- 2021年3月29日刊行
- ISBN978-4-7583-1892-1
電子版
序文
序にかえて
「山口。お前は,自分が知る限りの中で“史上最悪の理学療法士” だ!!」。過去に言われた言葉です。確かに。自分でもそう思います。この「史上最悪の理学療法士」にはいくつかの意味があるのですが,それについては本文で詳しく触れることにします。
私が理学療法士として勤務し始めた頃は,それはそれはひどいセラピストだったと思います。そんなダメセラピストでしたが,嬉しい,悲しい,辛い,腹が立つ,一喜一憂しながら,ダメはダメなりに飽きることなく毎日を過ごすことができました。ありがたいことに,嘘ではなく,臨床に出たくないと思ったことは一度もなく過ごしてこられました。もちろん,二日酔いも含め,体調が悪い時に「辛い」と思ったことはありましたが…。むしろ没頭し過ぎの感が強く,今では絶対にできないこと,いや,してはいけないことですが,1日60人の症例を担当したり,ある時は研究データの解析のため1カ月間睡眠2時間で過ごすこともありました。もちろんさせられていたのではなく,自らが望んでしていたことです。
没頭し過ぎて,ある時に先輩から「山口。顔つきが悪い。ダメだ帰れ。帰って休め。俺が車で送るから今日は帰れ。」と,無理矢理帰宅させられたこともありました。車で送っていただいている最中,横断歩道に近づいた時,横断歩道前の道路に記されている“横断歩道あり”の表示が人が横たわっているように見え,思わず「うわ〜」と声を上げてしまい,隣で運転してくださっていた先輩を「おぉ〜,なんだ〜!」とビックリさせてしまいました。
“幻覚” ですね。幻覚を見て奇声をあげ,それに反応して受け答えた先輩。そのやりとりがおかしくて思わず笑い,我に返り「いえ。何でもないです」と答えると,「お前〜,突然変な声出すなよ〜」とマジメな顔つきでありながら,どこかひょうきんさが伺える眼差しで怒られたこともありました。
富や名声が欲しくて頑張っていたわけではなく(共に今もあるわけでもなく,特に富はいまだに全く無縁ですが…),ただただ,自分の実力が無いことへの申し訳なさからくる没頭でした。
よく「先生は,いつ頃から自信をもって臨床ができるようになったんですか?」と聞かれますが,自信? 自信などもつ余裕すらなく,今しかないこの時間を無駄に過ごすわけにはいかない。なんでもいいから何かの役に立ちたい。そんな思いでひたすら出来ることを探すしかなかった,というのが実際かもしれません。それは今も変わらないかもしれませんね。そんな毎日も“下手な鉄砲も数撃ちゃあたる〜”的なもんだったんでしょうね。
少し結果が出てくると,嫌なもので,また違うダメセラピストの一面が表れ,鼻持ちならない奴になってしまっていたこともありました。またある時には,自分だけが熱くなり過ぎて相手や周りの都合を顧みず,単なる熱い想いの押し売りとなってしまっていたり,その傾向は今もあるかもしれませんが…とにかく厄介な人間だったと思います。そんな時,そんな自分を諌めてくれる出会いや関わり合いがいつもありました。先輩や恩師だけではなく,友人や後輩,時には担当した方々やそのご家族の反応が,自分がダメセラピストであることを気づかせてくれました。言葉で指摘される訳ではなく,自問自答の中から自分自身の中でダメさに気づけるよう,まるで周りの方々が急がずゆっくりと時間をかけ待ってくれているような感じがしました。ありがたかったですね。そして,そのダメさに気づき沈んだ気持ちになっていた時,大げさかもしれませんが,一筋の光明となったのが先人達が残してくれた言葉であり,周りから掛けられた一言でした。
理学療法士として勤務した際,入れ替わりで退職されることになっていた先生から「山口。いいか,入職して3年間,一日一文献を必ず読め。英文で数日かけたら,その日数分,複数の文献を読め。そして,365日で365文献の帳尻を合わせろ。いいな,約束だぞ。」と言われ,実際に3年間継続し続けました。この3年間で,理学療法士として必要な知識はもちろん,他職種のものまで幅を広げることができ,それがまた会話の素となり,他職種の方々との関係を深めることができ,他の立場から自分自身の立場を振り返ることができるようにもなりました(p.112,コラム「科学者」参照)。
しかし,数字で表すことができる理学療法士としての結果が出せる,出せない,の良し悪しではなくて
「今この瞬間に目の前いる,他の誰でもない目の前の方との関わり合いの中で最善を考えられていたか?」
「理学療法士としての知識や過去の報告に基づく論理的背景だけによる決定になっていないか?」
「知識や過去の報告に基づく論理的決定はもちろん重要であり,そして正しいものであっても,それが一方的な押し付けではなかろうか?」
「一方的な押し付けではないにしても,理学療法士先導の人間味のない選択になってしまっていないか?」
「それに加えて,この目の前の結果は本当に自分が出したものか?」
「自分のやっていることは,本当に価値があるのだろうか?」
この,何ともいえない思いからくる自分のダメさは,理学療法の書籍や文献を読んでも得られることは,皆無といわないまでも,ほとんどありませんでした。そんな,なんともやるせない,ふつふつとしていた時,いつもしていたのが図書館あるいは大きな本屋での徘徊でした。何も考えず,何かを探そうとするような目的はもたず,書棚のタイトルを眺めながら歩き回りました。不思議なもので“んっ?”と気になるタイトルが目に飛び込んでくることがあり,その本を手に取り,何気なく開くと,自分が待ち望んでいた,いや,むしろ探していたといった方が適切かもしれません,心の奥底に響く言葉がそこにあるんですよ。そんな経験がよくありました。時には,そんな沈んでいた時に周りの方が使った,本当に何気ない一言。自分のために特別に用意された言葉ではなく,自分に掛けられた訳でもない言葉が,幾度となく自分を救ってくれました。本当に不思議なものです。
セラピーに携わるためには,人に関わることすべてが大切となります。もちろん,医療の中では勝手なことをすることは許されませんし,指示に従うことが大前提です。しかし,セラピストとして振る舞うということは,指示や教科書に従い,過去の事例や報告を参照にして数字だけを改善させることだけではないはず。そんな思いが強く,これまでずっと「本来のセラピーとは?」「セラピストとしてどうあるべきなのだろうか?」をこれまで追い求めてきました。そして諦めることなく,それを追い続けてこられたのは,間違いなく人との出会い,言葉との出会いだったと思います。
まだまだ未熟で,孤軍奮闘の毎日を送っている身ではあるものの,ここで一区切りとしてまとめ,一つの形に残し,それを伝えることも必要ではないかと考えました。“史上最悪の理学療法士”である私だからこそ伝えられること,伝えなければいけないこと,があるような気がします。そんな思いでこの本を手がけることにしました。
まず最初にお断りしておきますが,この本はこれまでの医学書とは全く異なります。“教科書”ではありません。“教化書”としました。「教化」とは,もともと宗教の布教を意味していましたが,そこから転じて現在では“教え導き,良い方向に向かわせること”とされています。この本は,悩み苦しみもがいているときに,自らの力で自分自身を良い方向へと導いていけるようにとの思いからのもので,教科書のように教育課程に基づく体系化された学習のためのものではありません。むしろ,セラピストとして育っていっていただくため,つまりセラピストとしての教養に近いものかもしれません。
よって,先人たちが残してくださった“医療”とは直接関係のない言葉はもちろん,他にも“セラピー”という言葉自体,宗教と切っても切り離せない関係であることから,限定される宗教ではありませんが,本書でも宗教上で伝えられている記述も含めました。これは学習としてではなく,自らを良い方向へ導くための視点,ヒントとしての素材として非常に重要と考え,使わせていただきました。時に私自身の意訳となってしまっているところがあるかも知れませんが,ご理解いただければと思います。また,実際の場面を思い浮かべながら理解を深めていただけるよう,私自身が実際に体験したエピソード,聞いたエピソードもできるだけ多く盛り込みました。もちろん,セラピーの実務に繋がる数多くの知識・理論も学術的背景を基に紹介しています。できる限り出典元を紹介してはいますが,これまで目にした文献の中にはとても重要であるものの,出典元が不明となってしまったものもあり,本書の特徴から,それらもあえて紹介することとしました。その点もご容赦のほどよろしくお願いいたします。
自分がどれだけセラピストとして成長できているかは不明ですが,少なからずセラピーに興味をもっている方には,必ず何かの役に立つ事柄がこの本のどこかにあると思います。これからセラピストを目指す学生から,すでにセラピストとして実務について頑張っている方々,実務についてセラピストとしてこれまで過ごしてきたけれどセラピストにちょっと疲れてしまった方,そして当然のことながら,基本はあくまでもセラピーですから,理学療法に限定するものではなく,セラピーに関わる全ての職種の方々,どのような方にもどこかに役立てられるものがあると思います。
全体を単に一読して終わりではなく,幾度となく,もちろん全てではなく,思うまま,ふとした時に何気なくページを広げてもらえれば,また新たな視点やヒントに巡り会えるのではないかと思います。そう願います。そして,“セラピー”というものを大切に感じ,“セラピスト”として振る舞うことを目指し,セラピストとしてはもちろんのこと,素敵な人としても成長していってくれる仲間が増えることを期待します。
2021年3月
史上最悪の理学療法士 山口光國
「山口。お前は,自分が知る限りの中で“史上最悪の理学療法士” だ!!」。過去に言われた言葉です。確かに。自分でもそう思います。この「史上最悪の理学療法士」にはいくつかの意味があるのですが,それについては本文で詳しく触れることにします。
私が理学療法士として勤務し始めた頃は,それはそれはひどいセラピストだったと思います。そんなダメセラピストでしたが,嬉しい,悲しい,辛い,腹が立つ,一喜一憂しながら,ダメはダメなりに飽きることなく毎日を過ごすことができました。ありがたいことに,嘘ではなく,臨床に出たくないと思ったことは一度もなく過ごしてこられました。もちろん,二日酔いも含め,体調が悪い時に「辛い」と思ったことはありましたが…。むしろ没頭し過ぎの感が強く,今では絶対にできないこと,いや,してはいけないことですが,1日60人の症例を担当したり,ある時は研究データの解析のため1カ月間睡眠2時間で過ごすこともありました。もちろんさせられていたのではなく,自らが望んでしていたことです。
没頭し過ぎて,ある時に先輩から「山口。顔つきが悪い。ダメだ帰れ。帰って休め。俺が車で送るから今日は帰れ。」と,無理矢理帰宅させられたこともありました。車で送っていただいている最中,横断歩道に近づいた時,横断歩道前の道路に記されている“横断歩道あり”の表示が人が横たわっているように見え,思わず「うわ〜」と声を上げてしまい,隣で運転してくださっていた先輩を「おぉ〜,なんだ〜!」とビックリさせてしまいました。
“幻覚” ですね。幻覚を見て奇声をあげ,それに反応して受け答えた先輩。そのやりとりがおかしくて思わず笑い,我に返り「いえ。何でもないです」と答えると,「お前〜,突然変な声出すなよ〜」とマジメな顔つきでありながら,どこかひょうきんさが伺える眼差しで怒られたこともありました。
富や名声が欲しくて頑張っていたわけではなく(共に今もあるわけでもなく,特に富はいまだに全く無縁ですが…),ただただ,自分の実力が無いことへの申し訳なさからくる没頭でした。
よく「先生は,いつ頃から自信をもって臨床ができるようになったんですか?」と聞かれますが,自信? 自信などもつ余裕すらなく,今しかないこの時間を無駄に過ごすわけにはいかない。なんでもいいから何かの役に立ちたい。そんな思いでひたすら出来ることを探すしかなかった,というのが実際かもしれません。それは今も変わらないかもしれませんね。そんな毎日も“下手な鉄砲も数撃ちゃあたる〜”的なもんだったんでしょうね。
少し結果が出てくると,嫌なもので,また違うダメセラピストの一面が表れ,鼻持ちならない奴になってしまっていたこともありました。またある時には,自分だけが熱くなり過ぎて相手や周りの都合を顧みず,単なる熱い想いの押し売りとなってしまっていたり,その傾向は今もあるかもしれませんが…とにかく厄介な人間だったと思います。そんな時,そんな自分を諌めてくれる出会いや関わり合いがいつもありました。先輩や恩師だけではなく,友人や後輩,時には担当した方々やそのご家族の反応が,自分がダメセラピストであることを気づかせてくれました。言葉で指摘される訳ではなく,自問自答の中から自分自身の中でダメさに気づけるよう,まるで周りの方々が急がずゆっくりと時間をかけ待ってくれているような感じがしました。ありがたかったですね。そして,そのダメさに気づき沈んだ気持ちになっていた時,大げさかもしれませんが,一筋の光明となったのが先人達が残してくれた言葉であり,周りから掛けられた一言でした。
理学療法士として勤務した際,入れ替わりで退職されることになっていた先生から「山口。いいか,入職して3年間,一日一文献を必ず読め。英文で数日かけたら,その日数分,複数の文献を読め。そして,365日で365文献の帳尻を合わせろ。いいな,約束だぞ。」と言われ,実際に3年間継続し続けました。この3年間で,理学療法士として必要な知識はもちろん,他職種のものまで幅を広げることができ,それがまた会話の素となり,他職種の方々との関係を深めることができ,他の立場から自分自身の立場を振り返ることができるようにもなりました(p.112,コラム「科学者」参照)。
しかし,数字で表すことができる理学療法士としての結果が出せる,出せない,の良し悪しではなくて
「今この瞬間に目の前いる,他の誰でもない目の前の方との関わり合いの中で最善を考えられていたか?」
「理学療法士としての知識や過去の報告に基づく論理的背景だけによる決定になっていないか?」
「知識や過去の報告に基づく論理的決定はもちろん重要であり,そして正しいものであっても,それが一方的な押し付けではなかろうか?」
「一方的な押し付けではないにしても,理学療法士先導の人間味のない選択になってしまっていないか?」
「それに加えて,この目の前の結果は本当に自分が出したものか?」
「自分のやっていることは,本当に価値があるのだろうか?」
この,何ともいえない思いからくる自分のダメさは,理学療法の書籍や文献を読んでも得られることは,皆無といわないまでも,ほとんどありませんでした。そんな,なんともやるせない,ふつふつとしていた時,いつもしていたのが図書館あるいは大きな本屋での徘徊でした。何も考えず,何かを探そうとするような目的はもたず,書棚のタイトルを眺めながら歩き回りました。不思議なもので“んっ?”と気になるタイトルが目に飛び込んでくることがあり,その本を手に取り,何気なく開くと,自分が待ち望んでいた,いや,むしろ探していたといった方が適切かもしれません,心の奥底に響く言葉がそこにあるんですよ。そんな経験がよくありました。時には,そんな沈んでいた時に周りの方が使った,本当に何気ない一言。自分のために特別に用意された言葉ではなく,自分に掛けられた訳でもない言葉が,幾度となく自分を救ってくれました。本当に不思議なものです。
セラピーに携わるためには,人に関わることすべてが大切となります。もちろん,医療の中では勝手なことをすることは許されませんし,指示に従うことが大前提です。しかし,セラピストとして振る舞うということは,指示や教科書に従い,過去の事例や報告を参照にして数字だけを改善させることだけではないはず。そんな思いが強く,これまでずっと「本来のセラピーとは?」「セラピストとしてどうあるべきなのだろうか?」をこれまで追い求めてきました。そして諦めることなく,それを追い続けてこられたのは,間違いなく人との出会い,言葉との出会いだったと思います。
まだまだ未熟で,孤軍奮闘の毎日を送っている身ではあるものの,ここで一区切りとしてまとめ,一つの形に残し,それを伝えることも必要ではないかと考えました。“史上最悪の理学療法士”である私だからこそ伝えられること,伝えなければいけないこと,があるような気がします。そんな思いでこの本を手がけることにしました。
まず最初にお断りしておきますが,この本はこれまでの医学書とは全く異なります。“教科書”ではありません。“教化書”としました。「教化」とは,もともと宗教の布教を意味していましたが,そこから転じて現在では“教え導き,良い方向に向かわせること”とされています。この本は,悩み苦しみもがいているときに,自らの力で自分自身を良い方向へと導いていけるようにとの思いからのもので,教科書のように教育課程に基づく体系化された学習のためのものではありません。むしろ,セラピストとして育っていっていただくため,つまりセラピストとしての教養に近いものかもしれません。
よって,先人たちが残してくださった“医療”とは直接関係のない言葉はもちろん,他にも“セラピー”という言葉自体,宗教と切っても切り離せない関係であることから,限定される宗教ではありませんが,本書でも宗教上で伝えられている記述も含めました。これは学習としてではなく,自らを良い方向へ導くための視点,ヒントとしての素材として非常に重要と考え,使わせていただきました。時に私自身の意訳となってしまっているところがあるかも知れませんが,ご理解いただければと思います。また,実際の場面を思い浮かべながら理解を深めていただけるよう,私自身が実際に体験したエピソード,聞いたエピソードもできるだけ多く盛り込みました。もちろん,セラピーの実務に繋がる数多くの知識・理論も学術的背景を基に紹介しています。できる限り出典元を紹介してはいますが,これまで目にした文献の中にはとても重要であるものの,出典元が不明となってしまったものもあり,本書の特徴から,それらもあえて紹介することとしました。その点もご容赦のほどよろしくお願いいたします。
自分がどれだけセラピストとして成長できているかは不明ですが,少なからずセラピーに興味をもっている方には,必ず何かの役に立つ事柄がこの本のどこかにあると思います。これからセラピストを目指す学生から,すでにセラピストとして実務について頑張っている方々,実務についてセラピストとしてこれまで過ごしてきたけれどセラピストにちょっと疲れてしまった方,そして当然のことながら,基本はあくまでもセラピーですから,理学療法に限定するものではなく,セラピーに関わる全ての職種の方々,どのような方にもどこかに役立てられるものがあると思います。
全体を単に一読して終わりではなく,幾度となく,もちろん全てではなく,思うまま,ふとした時に何気なくページを広げてもらえれば,また新たな視点やヒントに巡り会えるのではないかと思います。そう願います。そして,“セラピー”というものを大切に感じ,“セラピスト”として振る舞うことを目指し,セラピストとしてはもちろんのこと,素敵な人としても成長していってくれる仲間が増えることを期待します。
2021年3月
史上最悪の理学療法士 山口光國
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目次
Part 1 セラピーとは
1 モラル(moral)とモラール(morale)
セラピストとしての振る舞い
2 セラピーの理念とは?
セラピーとは
苦しみとは
3 セラピーの歴史:ヒポクラテスの時代から
自然対応力 physisを引き出す
Part 2 セラピストとしてあるべき姿とは
1 志:セラピストは何を目標とすべきか
相手が中心となる志が基本
セラピストのあるべき姿
2 良いセラピストとは?
“Do”の前に“Be”を考えることが大切
自らを振り返る
定型的技術,さらに適応的技術に挑む意欲
対応戦略:セラピストの基本姿勢は対応探し!
経験で物を言う・経験からの勘ではなく,経験を積め!
3 ダメなセラピストとは?
苦しみを増長させない・増やさない(リスク管理を怠らない)
セラピストとしての役割を捨てない(諦めない)
純粋性を保つ(固執しない)
セラピストとしての役割を自覚する
理念を大切にする
誰にも公平でなければならない
守秘義務の保持
4 セラピストとして心に留めておくべき事柄
慈しみ
この慈悲,始終なし
三重の関心
Part 3 知識・技術の前に大切なこと
1 行動変容は相互関係の構築から
行動変容を促す/始まりは症例に受け入れられること
ジョハリの窓
メラビアンの法則
2 身だしなみ
清潔であること
危険でないこと
合理的であること
自分の特徴を示せること
社会的ルールに準じること
3 言葉遣い
変化のあるイントネーション
理解できる用語
声の高さ
リズム
滑舌
コミュニケーションスキル
コミュニケーションレベル
意識すべき会話のポイント
4 体使い
姿勢変化(心理は姿勢に現れる)
大切にするならば,体の正面を必ず向ける
視線の高さ
パーソナルスペース
Part 4 臨床での基本
1 セラピーの基本:「治し癒す」と「治め癒す」
「治し癒す」
「治め癒す」
2 科学をどう捉えるか
科学とは?
信頼性
妥当性
3 相互決定理論
因果関係から相互決定という考えへ
天才が作るインソール
4 複雑系科学
一定と揺らぎ
生体に関わる因子は多種多様
5 矛盾・不十分・一貫性の欠如
矛盾
不十分
一貫性の欠如
6 複雑系の反応を踏まえたセラピストとしての情報収集:やり方・扱い方・考え方
セラピスト自身が調整変数
関節内の反応と関節間の相互反応
身体各部の連携
機能的連携
セラピーに関わる調整変数
Part 5 臨床での技術とは
1 思考の技術
“定型的な技術”と“適応的な技術”
関係を踏まえての思考
立場を踏まえての思考の展開
事実の抽出
類推する
気づく
2 臨床の基本となる技術
タッチ(徒手的対応)
言葉の技術(言語的対応)
1 モラル(moral)とモラール(morale)
セラピストとしての振る舞い
2 セラピーの理念とは?
セラピーとは
苦しみとは
3 セラピーの歴史:ヒポクラテスの時代から
自然対応力 physisを引き出す
Part 2 セラピストとしてあるべき姿とは
1 志:セラピストは何を目標とすべきか
相手が中心となる志が基本
セラピストのあるべき姿
2 良いセラピストとは?
“Do”の前に“Be”を考えることが大切
自らを振り返る
定型的技術,さらに適応的技術に挑む意欲
対応戦略:セラピストの基本姿勢は対応探し!
経験で物を言う・経験からの勘ではなく,経験を積め!
3 ダメなセラピストとは?
苦しみを増長させない・増やさない(リスク管理を怠らない)
セラピストとしての役割を捨てない(諦めない)
純粋性を保つ(固執しない)
セラピストとしての役割を自覚する
理念を大切にする
誰にも公平でなければならない
守秘義務の保持
4 セラピストとして心に留めておくべき事柄
慈しみ
この慈悲,始終なし
三重の関心
Part 3 知識・技術の前に大切なこと
1 行動変容は相互関係の構築から
行動変容を促す/始まりは症例に受け入れられること
ジョハリの窓
メラビアンの法則
2 身だしなみ
清潔であること
危険でないこと
合理的であること
自分の特徴を示せること
社会的ルールに準じること
3 言葉遣い
変化のあるイントネーション
理解できる用語
声の高さ
リズム
滑舌
コミュニケーションスキル
コミュニケーションレベル
意識すべき会話のポイント
4 体使い
姿勢変化(心理は姿勢に現れる)
大切にするならば,体の正面を必ず向ける
視線の高さ
パーソナルスペース
Part 4 臨床での基本
1 セラピーの基本:「治し癒す」と「治め癒す」
「治し癒す」
「治め癒す」
2 科学をどう捉えるか
科学とは?
信頼性
妥当性
3 相互決定理論
因果関係から相互決定という考えへ
天才が作るインソール
4 複雑系科学
一定と揺らぎ
生体に関わる因子は多種多様
5 矛盾・不十分・一貫性の欠如
矛盾
不十分
一貫性の欠如
6 複雑系の反応を踏まえたセラピストとしての情報収集:やり方・扱い方・考え方
セラピスト自身が調整変数
関節内の反応と関節間の相互反応
身体各部の連携
機能的連携
セラピーに関わる調整変数
Part 5 臨床での技術とは
1 思考の技術
“定型的な技術”と“適応的な技術”
関係を踏まえての思考
立場を踏まえての思考の展開
事実の抽出
類推する
気づく
2 臨床の基本となる技術
タッチ(徒手的対応)
言葉の技術(言語的対応)
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思考を止めるな! 臨床に立つために必要なことはすべてここにある
「本来のセラピーとは? セラピストとしてどうあるべきか?」を追求してきたカリスマ理学療法士が,若手セラピストのために書き下ろした初めての単著。笑いあり涙ありのエピソードが満載で,臨床に立つ際の心構えをわかりやすい語り口調で示している。
自身の経験・学術的基盤も織り交ぜながら,セラピストとして育つための教養,先人が残した言葉,自らを良い方向へ導くための視点・ヒントとなる素材を紹介。臨床での困りごと解決のヒントとなる言葉が随所に散りばめられており,セラピーにかかわるすべての職種に向けて,セラピストとしての共通理念,向かうべき方向性を示す。