患者とともにある医療

患者と医療提供者の新たな信頼関係とは

患者とともにある医療

■編集 学校法人東京医科大学再生プロジェクトチーム委員会

定価 1,540円(税込) (本体1,400円+税)
  • 四六判  220ページ  1色
  • 2013年1月31日刊行
  • ISBN978-4-7583-0041-4

東京医科大学が次の100年の飛躍に向けて決意したのは「患者とともにある医療」の実践だった!

東京医科大学では,2002年以降のさまざまな問題に対する徹底的な調査とその改革に向けた提言を得るために「東京医科大学第三者委員会」を設置したが,同委員会からは組織体制などの抜本的改革を求められた。この提言を受け,2010年8〜9月に「学校法人東京医科大学再生委員会」(再生委員会)と,「学校法人東京医科大学再生プロジェクトチーム委員会」(再生PT委員会)を設置した。
再生委員会は理事長の諮問機関で,学外の有識者で構成された。一方,再生PT委員会は,大学職員自らが主体的に,実行可能で具体的な改革案を策定する組織で,主に大学の教職員で構成された。本書に収めた有識者10名による発言は,再生PT委員会が企画し,全職員を対象にした「再生プロジェクトチームセミナー」の10回にわたる講演をもとに起稿したものである。


序文

今こそ,"医の原点"に立ち返る

東京医科大学 学長  臼井 正彦氏

「東京医科大学は,今,危機的な状況にある」
 この衝撃的な言葉は,東京医科大学第三者委員会が,2010年7月に提出した報告書「東京医科大学をめぐる諸問題の調査結果の報告及び提言」の冒頭に記載されたものである。
この報告書を踏まえ,その提言を具体化するために,東京医科大学では,本学再生に向けて動き始めた。なぜ,危機的な状況になったのか,なぜ,「再生」しなくてはならなかったのか。まず,10年前にさかのぼって考えてみたい。

過去10年の東京医科大学の出来事を振り返る
 2003年11月,東京医科大学附属病院(大学病院)で,人工内耳の埋め込み手術ミスと,骨髄穿刺検査を受けた患者の死亡について,当時,病院長だった私は,週に2回ほど,記者会見を開き,「医療不信を招く結果となり,申し訳ない」と陳謝した。
 2004年12月には,2002年10月〜2004年1月の間に,心臓弁膜手術を受けた患者3人が相次いで死亡し,このうち3遺族が医療過誤を疑って証拠保全手続きを取ったことが報道された。
この問題への対応として,関連する学会に依頼して「東京医科大学病院心臓手術検証委員会」を設置した。2005年に公表された委員会の報告書は,「医療に従事するものが,患者の立場に立って,医療の質を保証することの重要性を深く自覚することが何よりも重要である」とし,「今後の病院の医療の質の保証について関係者全員で真剣に議論し,速やかに改革案を策定して実行し,患者・社会の信頼を回復するよう,積極的に取り組まれることを強く望む」と結んでいる。
 そして,大学病院の「特定機能病院」の指定返上を申し出るとともに,当時の院長の私と伊藤久雄理事長が辞任した。
 しかし,2007年には,東京医科大学八王子医療センターで実施された52例の生体肝移植手術のうち20例が移植後早期に死亡し,生存率が全国平均を下回っていたにもかかわらず,全国平均と同程度との説明を患者にしていたことが報道された。
 こうした東京医科大学の診療現場での問題が表面化する中,2006年から2008年にかけて,学長が不在という問題も起きた。私は2006年3月に教授会から学長予定者として推薦されたが,理事会がこれを承認しなかった。そこで改めて学長選考が行われたが,教授会で候補が決まらないなど,4回続けての選考でも学長候補が決まらないという事態になった。ようやく2008年の選考で,私が学長予定者として再度推薦され,理事会もようやく承認し,約2年にわたる学長不在が解消された。
 その他にも,茨城医療センターでの診療報酬の不正請求,研究費の不正処理,学位謝礼の問題などが指摘され,東京医科大学のガバナンスのあり方が問われることとなった。

再生プロジェクトチーム委員会を設置
 こうした長期にわたる経緯を踏まえ,東京医科大学という医学教育の担い手であり,かつ人命を預かる医療機関を運営する立場から,大学と附属の各病院のあり方を抜本的に見直す必要があると判断した。そして,2010年5月に,外部有識者からなる「東京医科大学第三者委員会」を立ち上げ,第三者的・中立的立場から,東京医科大学に内在する問題の調査とその改革に向けた提言を求めたのである。
 この報告書では,医学教育・研究のための組織の見直し,病院組織の位置づけの見直し,人事の透明化,「患者中心の医療」の視点の取り入れなどが,組織改革の方向性として示された。そして,具体的な提言として「再生委員会」と「再生プロジェクトチーム」の設置が求められた。
 東京医科大学では,この提言を受け,2010年8〜9月に「学校法人東京医科大学再生委員会」(再生委員会)と,「学校法人東京医科大学再生プロジェクトチーム委員会」(再生PT委員会)を設置した。再生委員会は,理事長の諮問機関で,学外の有識者で構成された。一方,再生PT委員会は,大学職員自らが主体的に,実行可能で具体的な改革案を策定する組織で,主に大学の教職員で構成された。
 なお,本書に収めた有識者10名による発言は,再生PT委員会が企画し,全職員を対象にした「再生プロジェクトチームセミナー」の10回にわたる講演をもとに起稿したものである。
再生PT委員会では,以下の5つの分科会と,各分科会に共通する課題を検討する4つの特別チームを設けて,2010年9月〜2011年3月まで半年間にわたり,議論を重ね,最終的に54項目の具体的な施策を提案した。
(分科会)
第1分科会 「リスク管理について」
第2分科会 「患者中心の医療を行うには」
第3分科会 「講座制の在り方」
第4分科会 「教職員のモチベーションについて」
第5分科会 「全学的な情報発信・情報共有について」
(特別チーム)
・インフォームドコンセント特別チーム
・臨床指標特別チーム
・委員会再編特別チーム
・コンプライアンス特別チーム
 54項目の詳細については,付録(214〜217ページ)を参照していただきたい。その柱となるのは,次の4つである。
1 大学・病院の組織体制の見直し
2 医療の充実
3 大学及び病院の運営改革
4 職場環境の改善
 100年近い伝統を持つ東京医科大学の組織を抜本的に見直し,風土を変えるという,難しい課題が山積しているが,その改革は既に始まっている。

講座制のあり方を抜本的に改革
 本学改革のための施策のうち,「職場環境の改善」という柱については,職員の意識改革など「能力の向上への施策」や,看護部などの「人事体制の見直し」などに着手し,現場では業務の改善が進んできている。また,「医療の充実」という柱では,職員の倫理教育など「安全・安心な医療を提供するための施策」や,人員配置の工夫による「医療レベルの維持及び向上に向けた方策」も実行に移されている。
 一方で,「大学及び病院の運営改革」という柱の実行は難航している。中でも,「講座制の見直し」は,本学の伝統ともかかわる問題であり,時間をかけて取り組みたいと思っている。
ただ,講座制の見直しのうち,「定期的な評価制度の導入」はスムーズに行われた。これに,主任教授8年,教授6年,准教授・講師4年という任期制と,65歳定年という従来の制度を重ね合わせることで,かつてのように10年以上にわたって,特定の人物が講座を“支配”するような事態は少なくなると思われる。
 学長・病院長・主任教授の選考については,論文数や診療実績だけでなく,選考委員や教授会を前にしてのプレゼンテーションも必須となり,選考過程の透明性が増している。
 ここ数年,基礎医学系の教授には,本学出身者が少数派になり,臨床医学系の主任教授でも本学出身者は6割以下にまで減ってきている。こうした現実をみてきた教職員の間では,講座制を見直す必要があるという認識は浸透していると考えている。
 講座制のあり方として,ある領域の教育・研究と,診療について,それぞれ違う人間が責任者(教授など)となり,それを主任教授が統括する,という形を考えている。教授を束ねる位置に主任教授を据えるということである。
 東京医科大学の講座制では,古くから「師弟関係」が濃密で,それが質の高い診療や研究を継続する原動力であった一方,師弟関係には周囲から口を差し挟めない雰囲気も醸し出していた。そのため主任教授でさえ,自身の専門外の領域の教授と弟子(准教授や講師など)の関係には踏み込みにくかったのである。これが,大学全体としてのガバナンスの欠如,そして医療過誤などの遠因になったことは否めない。
 講座制の見直しは,こうした縦割りの弊害を防ぎ,教育機関として,医療機関として,さらに上のレベルを目指すために欠かせない改革だと考えている。

「患者とともに行う医療」へまず一歩
 「会社の寿命は30年」という言葉がある。これは経営雑誌の『日経ビジネス』が1983年ころに取り上げたテーマで,「優良企業ともてはやされても盛りは30年まで」という意味である。創業者や中興の祖と言われる人物の下に,業績が順調に伸びても,そうした人物の薫陶を受けた社員たちが引退する30年後には,会社は衰退してしまうことが,企業の盛衰を分析した結果,分かったという。過去の栄光にしがみつき,自己変革を怠る企業の多くは,そういう事態に追い込まれることを示している。
 これは,大学や病院の運営にも当てはまる。東京医科大学の前身である東京医学講習所が設立されたのが1916年,茨城医療センターの前身である霞ヶ浦病院が開設されたのが1949年,そして,八王子医療センターが開設されたのが1980年である。
 八王子医療センターで生体肝移植の問題が起きたのは開設から約30年後,茨城医療センターで不正請求問題が発覚したのが30年の倍の約60年後,そして,大学病院の医療過誤などが問題視されたのは30年の3倍の約90年後である。これは,偶然ではないと私は考えている。
 今,「患者とともに行う医療」を目指して東京医科大学が改革を始めた30年後に,この精神が忘れ去られるようになってはいけない。それだけに,次の世代,次の次の世代を担う若い医師や学生への教育は極めて重要である。
 また,新宿の大学病院,茨城医療センター,八王子医療センターの3つの病院が,大学とともに一体となって改革を進めることも不可欠である。私は,茨城,八王子の各医療センターにも毎月出向き,できるだけ多くの教職員に声をかけ,コミュニケーションを密にすることに力を入れている。
 東京医科大学は「自主自学」を建学精神とし,「正義」「友愛」「奉仕」を校是として始まった。そしてこれは,まもなく100周年を迎える今も通じるものであり,「患者とともに行う医療」の礎として,誇りに思っている。
 過去10年ほどの一連の事態を経て,東京医科大学は,大学本体だけでなく,同窓会,理事会も変身してきている。この変革の精神を30年で終わらせないことはもちろん,次の100年に向けて,大学幹部だけでなく,すべての関係者が不断の努力で,社会に適応しつつ,改革を続けてほしいと願っている。
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目次

序 章 今こそ、〝医の原点〟に立ち返る

第1章 意識改革と組織改革は待ったなし
~医療を提供する立場から考える「患者とともにある医療」~
(1) 患者とともに生きる医療
(2) 治療に対する患者と医療者の意識の溝を埋めよ
(3) 大学病院に必要なのはガバナンスと意識改革

第2章 患者も学ぶ、だからきちんとした情報提供を
~医療を受ける立場から考える「患者とともにある医療」~
(1) パートナーとして時間をかけて見守ってほしい
(2) 大学病院の役割と機能を明確に伝えてほしい
(3) 生き方を決めるのは患者、的確なアドバイスを

第3章 医療者は謙虚で密なコミュニケーションを
~医療安全を管理する立場から考える「患者とともにある医療」~
(1) 医療安全の基盤は主体的で自律的な医療者集団
(2) 患者の安全に求められるのは、患者の視点に立つ病院経営
(3) 医療チームの安全を支えるノンテクニカルスキル

第4章 患者の意志の尊重こそ信頼醸成の礎
~医療トラブルを扱う立場から考える「患者とともにある医療」~
「医療は患者のため」を常に言い聞かせよ

終 章 変わり続ける「患者とともにある医療」
~模索、実行、見直しの反復・継続が必須~

付 録 学校法人東京医科大学再生プロジェクトチーム改革案一覧
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